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クラブ概要

 

クラブ沿革

 

1972年 4月 甲東地区のボランティア活動の一環として蔵本博光(当時大学生)・義隆(昭和57年―1982年―)西宮サッカー協会少年委員会を結成)父子及び奥村清氏によって甲東少年サッカークラブを設立(指導員5名、会員数80名)。
1973年 将来は全国大会に出場するために、また市内どこからでも応募できるようになど、名前は大きい程よいということで『西宮少年サッカークラブ』と改名し、クラブ活動を開始。 創立から10年間は、関係者の大変な努力と地域の方々、会員保護者の協力、支援のもとクラブ存続の基盤づくり、組織の拡大と確立に力を注ぎました。
1983年 全国少年サッカー大会兵庫県予選大会では4位、秋の兵庫県少年サッカー大会では6年生以下の部で初優勝の偉業を遂げました。この時を契機にクラブの成長期へ突入し、県下はもちろん関西でも名門クラブへの道を辿ることになりました。
1985年 創部当初掲げた念願の全国少年サッカー大会に初出場を果たし、その後4度全国大会へ駒を進めることが出来ました。
1988年 西宮市優秀団体賞を市より団体として受賞。
1993年 創立20周年祝賀会を宝塚ホテルにて実施。
1994年 西宮市民体育賞を市より団体として受賞。
1995年 1月17日の阪神・淡路大地震遭遇の中、全国大会出場を果たしましたが、残念ながら予選リーグ敗退(3位)と決勝トーナメントへの進出ならず、 震災地復興への明かりを灯すことはできませんでしたが、子供たちは、大震災の苦境を乗り越えて力一杯頑張りました。
1995年 12月 汐文社より『西宮少年サッカークラブー大震災をのりこえ、栄光の全国大会へ―』の書簡発刊される。
2002年 6月 『西宮少年サッカークラブー大震災をのりこえ、栄光の全国大会へ―』(汐文社)を元に、フジテレビ制作番組〝アンビリバボー〟の感動編で関西テレビで放映される。
2003年 1月 創立30周年祝賀会を宝塚ホテルにて実施。

クラブ卒団生

 

江口倫司 君
(平成元年度卒団生)
平成8年度2月 J1リーグヴィッセル神戸入団 平成12年 J1リーグアビスパ福岡(14年度よりJ2)へ移籍。現在は、ヴィセル神戸のスクール事業にて青少年選手の育成で活動しています。
石澤典明 君
(平成9年度卒団生)
平成17年4月 J1リーグヴィッセル神戸入団。現在、J1リーグヴィッセル神戸から他のチームへ移籍し、活躍中。
金 大権 君
(昭和60年度卒団生)
第9回 全日本少年サッカー決勝大会で優秀選手に選ばれる。
山下 吾郎 君
(平成元年度卒団生)
第13回 全日本少年サッカー決勝大会で優秀選手に選ばれる。

 

その他、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪、ガンバ大阪のユースで活躍中の卒団生もいます。

卒団生数

 

中学部 平成6年4月結成 → 平成10度の活躍を最後に休部。
卒団生 32名
女子部 平成2年4月結成 → 平成9年度の活躍を最後に廃部。
卒団生20名
少年部 卒団生 約1,280名

クラブ会員数

昭和47年85名でスタートし、昭和61年度538名と最高に達し、
現在は、約140~150名である。

 

昭和48年 100名台
昭和49年 - 昭和54年 200名台
昭和55年 - 昭和58年 300名台
昭和55年 - 昭和58年 300名台
昭和59年 400名台
昭和60年 - 昭和61年 500名台
昭和62年 - 昭和63年 400名台
平成元年 - 平成2年 300名台
平成3年 - 平成8年 200名台
平成9年 - 平成20年 100名台

クラブ年間行事

 

神鍋夏季合宿 7月

幼稚園から6年生まで参加

キャンプファイヤー、いも掘り、バーベキューを行います。

フレッシュカップ大会

8月、強化チーム4年生以下の部、6年生以下の部、昭和60年(1985年)より実施し、今年度で年24回目を迎えます。

マラソン大会

マラソンにて、持久力と忍耐力を身につけます。

クラブ表彰

年間 最優秀選手、優秀選手、チーム表彰。

6年生お別れ会

説明

2年生大会

説明

クラブカップ杯

一般チーム高学年の部、中学年の部、低学年の部(会員数が多いときには、学年ごとクラブ内リーグ戦を行っていた。)

スポーツフェスティバル

昭和63年まではクリスマス会、平成10年までは運動会を行っていたが、少子化などの会員の減少により現在に至っている。